十全総合病院院内紙原稿
私が脳神経外科医になったわけ
脳神経外科
中村 寿
「先生はどうして脳外科医になったの?」とよく聞かれる。
それは「おまえの風貌は脳外科医のイメージからかけ離れているぞ」という意味でもあり、時には「夜中や休日に(長〜い)緊急手術でバタバタしないといけないことが多くて同じ医者でも割に合わないね」という半ば憐憫の情が込められた言葉でもある。
確かに脳神経外科医というと世間一般にはカッコイイというイメージがあるようだが、実際は「一に体力、二に気力」が要求される結構しんどい仕事なのである。
我々が扱う疾患でも特に脳卒中や頭部外傷などの治療は一刻を争うことが多い。数時間、時には数十分の治療の遅れが致命的となることも決して稀ではないのである。だから、今日は休日だから、あるいは夜中だから明日まで待って治療しよう、という訳にはいかない。(得てして緊急性の高い患者ほど時間外に来るのだが。)おまけに手術時間はやたらと長い。宵の口に急患が来て緊急開頭術をして終わったら朝だったなどということもよくある話である。やはり体力気力がなければやっていられない。
話を元に戻そう。それではどうして私がそのようなしんどい脳神経外科医になったのか。
十年前、私は医学部の最終学年であった。最終学年になるとやれ卒業試験だ、国家試験だと勉強に追われる傍ら将来の自分の進路を決めなければならない。
元来私は小児科志望で、六年生の夏休みには、当時東京の日赤医療センター小児科部長だった川崎富作先生(川崎病の発見者)のところへ志願して臨床実習をさせて頂いたほどである。実習の終わりに部長室へ御礼のご挨拶に伺ったとき、先生自ら川崎病(MCLS)報告の原著別刷にサインして私に下さった。非常に感激して小児科志望の思いをさらに強くしたのを覚えている。
ところが、人生一寸先は闇、どこでどう転ぶか分からない。
私の母校、愛媛大学医学部の建物は9階建てで1フロアーに基礎医学2教室、臨床医学2教室が入っている。小児科教室は5階にあるが、小児科に入ろうとした私が入るドアを間違えてしまったというのは一部では有名な逸話である。つまり、小児科の隣が脳神経外科だったのだ。
この話の真偽の程は別として、六年生の夏休みの前後に各医局の医局説明会(入局勧誘会)が順次開かれる。私はまず小児科の医局説明会に出席した。ところが、その雰囲気が何とも堅苦しく暗かったのである。おそらく先生方が大変真面目だったからだとは思うが…。(松田教授ごめんなさい!)
その二、三日後に脳神経外科の医局説明会があり、「脳」に少なからず興味のあった私はこれにも出席した。ところがどうだろう。先輩達に連れていってもらった二次会も含め、小児科とはうって変わって底抜けに明るいのである。こんな明るい雰囲気で仕事ができたらいいなと心から思った。これが私が脳神経外科を選んだひとつのきっかけである。ただ、この底抜けの明るさが日頃の仕事の重圧の裏返しでありストレス発散の結果だということに気付くのに入局後何日もかからなかったが…。
入局後は早朝から深夜までほとんどベッドサイドに張り付いた生活が続いた。そして脳疾患の急性期や術直後の患者の神経症状や意識レベルが時々刻々変化する様子を目の当たりに体験し、意識清明で会話をしていた患者が分単位で昏睡状態に陥る恐さを知ることになる。同時に、時機を得た治療をすることで死の淵まで追いやられていた患者が蘇ってくるという劇的な場面にも遭遇するのである。
この様な体験があるから脳外科医はひとたび急患が入ったり患者の容態が変化すると一分一秒でも早く患者のもとに駆けつけようとする習性がある。深夜だろうと休日だろうと、デート中であろうと家族団らんの時であろうと、はたまたホロ酔い気分であろうと、何をおいてでも飛んで来るのである。いきおい生活は不規則となるが、それはとりもなおさず患者のために精一杯の努力をしている証であり、我々の誇りである。
「脳」は人間の体の中で最も神秘的な臓器である。体内のあらゆる臓器を支配しており、同時に高次精神活動の座でもある。いかなる人の人間性も「脳」があってこそ発揮される。従って、この「脳」の病気はその人の生命を脅かすのみならず、その人がそれまでの人生で培ってきた人間性を一瞬にして崩壊させてしまう可能性をも持っている。この生命や人間性の危機に対して最も直接的に立ち向かえるのは脳神経外科医だという自負がある。(もちろん本当に我々がなし得ることは極めて微々たるものでしかないが…。)
他の分野では扱いきれず、救急の場では常に生死にかかわる脳疾患の治療を自分の生涯の仕事にしたい、これが私が脳神経外科医を志した最大の理由である。
今年は私がその脳神経外科医になって十年目にあたる。当院に赴任してから二年八カ月。この四月からは長年当院脳神経外科を支えてこられた松尾先生の後を受けて「科長」を任せて頂いている。三年前に脳神経外科専門医の資格も取得したが、まだまだこれから勉強しなければならないことが山のようにある。
当面は、当院脳神経外科の質的水準が決して他に劣ることのないように努力していきたいと思っている。
それも職員の皆様方のご協力があってこそ!
どうぞよろしくお願いします。
(1993/10)