| 津島町 | ||
| 明治22年12月 | 北灘村、清満村、下灘村、、津島村、畑地 | |
| 村の五か村成立 | ||
| 明治28年7月 | 津島村が高田、近家を高近村として、岩松 | |
| を岩松村として分立 | ||
| 明治32年7月 | 清満村のうち、御内・槇川地区を御槇村と | |
| して分立 | ||
| 大正8年10月 | 岩松村に町制施行 岩松町 | |
| 昭和13年9月 | 高近村を岩松町に編入 | |
| 昭和26年4月 | 北灘村の一部を岩松町に編入 | |
| 昭和30年2月 | 岩松町・北灘村・清満村・下灘村・畑地村・ | |
| 御槇村合併、津島町成立 | ||
| 三間町 | ||
| 明治22年12月 | 成妙村、二名村、三間村の三か村成立 | |
| 昭和29年10月 | 上記三か村が合併し三間町成立 | |
| 昭和29年10月 | 北宇和郡広見町大字是延を編入 | |
| 吉田町 | ||
| 明治22年12月 | 奥南村、喜佐方村、立間村、立間尻村、吉 | |
| 田町、東宇和郡玉津村が成立 | ||
| 昭和13年2月 | 立間尻村を吉田町に編入 | |
| 昭和30年3月 | 吉田町、奥南村、喜佐方村、立間村、東宇 | |
| 和郡玉津村と北宇和郡高光村の一部が合 | ||
| 併し吉田町成立 | ||
| 宇和海村 | ||
| 明治22年 | 日振島村、戸島村、遊子村、下波村、蒋渕 | |
| 村 成立 | ||
| 昭和33年4月 | 上記五か村合併して宇和海村になる | |
| 昭和49年4月 | 宇和島市と合併 | |
| 宇和島市 | ||
| 明治22年 | 北宇和郡宇和島町 成立 | |
| 大正6年5月 | 丸穂村を合併 | |
| 大正10年8月 | 八幡村を合併 | |
| 昭和9年 | 九島村を合併 | |
| 昭和30年 | 高光村、三浦村を合併 | |
| 昭和32年 | 来村を合併 | |
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| どこも何か似通っている。円を使い、PCによる曲線、カーブを使っている。色のないものは、新聞から取った。毎日新聞の記事を引用すると「発想は似たりよったり」という見出しがある。一つだけなら斬新さを覚えるが、同じようなものが並んでは始末に困る。どこかの民放のロゴのようだ。これ以上は言わない。逆に大洲市とか砥部町が新鮮に見える。 | |||
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【足摺岬の原型】(2005/07/10)
先日、読んでいた、「南海通記」 巻之一 四國路徑記 【通考】の部分で左のような文字に出会った。
中央の行、「蹉◆(ないので)ノ水碕」四里、 サダノミサキ、であるが、これは足摺岬の本来の地名である。この漢字を読むとき、しだいに、アシズリ と読むようになったそうである。実はこの文字を探していたが、長宗我部のことを調べるつもりで、読んでいた本に偶然見ることができた。
忘れるといけないので、記憶のあるうちに書いておく。ただ、この本は享保年間に書かれた本で、誤記もあるために、完全に正確なものかどうかは保障できないが、この使われ方は、下にも書いた「鏡父子」の書物にもあるので間違いはないだろう。岬と佐田、あるいは佐多は、猿田彦命にかんする伝承が多い。
【平成17年4月】
合併で地名の変わったところも多いでしょう。
愛媛県でもまた、新自治体ができました。下は愛媛県の合併状況を示す公式サイトです。
http://www.pref.ehime.jp/gappei/
平成16年11月 ヤフー掲示板で、宇和島に関するすべてのトピックが削除されてしまった。
理由は予想がつく。
【平成16年10月1日】
愛南町が発足した。
【平成16年3月26日】
瀬戸町、三崎町、伊方町の新地名が「伊方町」に決定したそうです。
ほかにも候補名があったそうですが、伊方町が強引にこだわり、投票の結果、新地名は伊方町に決定。まあ奇妙な名前になるよりはましですが、何しろ伊方町は原発があるから発言力が強いのでしょう。三崎町、瀬戸町も住民には慣れ親しんだ名前でしょうが、良しとしなければ。
【平成16年3月8日更新】
毎日新聞 平成16年3月8日 新日本地図 平成の大合併 より
前略
愛媛県東部の伊予三島市、川之江市、土居町、新宮村が合併して来月誕生する「四国中央市」。「県より大きな市名」と賛否が巻き起こった。
実は新市名5候補への下馬評は、古代からの地域呼称であり、2町村が属する郡名「宇摩」が優勢だった。しかし合併協での決定投票では「四国中央」17票、「宇摩」12票と逆転した。
「力関係は伊予三島、川之江の2市が上なのに郡名が採用されそうな情勢に、両市トップが疑問を感じた結果」と関係者が明かす。
両市は「宇摩外し」で一致したが、意中の新市名は異なり、次善の「四国中央」で一致したのだという。決定後の市議会で篠永善雄・伊予三島市長は「『四国中央市』で、と(合併協委員へのお願い)をやった」と゛“多数派工作”を認めた。歴史よりも、自治体同士のメンツ争いが優先された結果だった。
後略
あーあ、アホクサイ。所詮レベルはこの程度なのだ。目先の損得だけに溺れる輩。
なおのこと、強制的な合併に抵抗する福島県矢祭町にエールを送りたくなる。
ぐわんばれ、矢祭町。いやらしい圧力に屈するな。なんとなく個人的感情から火事で消火を拒んだどこかの消防署を連想する。
愚者の船日本丸よ何処へ行くのか?
柳田国男は嘆く
「もっともはなはだしい例は、甲州の北巨摩郡に、水上、青木、折居、樋口の四つの大字で、水と青を合わせて「清」、折と口を合わせて「哲」、清哲村とした。これなどは、他日、清哲という坊さんでも開いたということになるかもしれない」(柳田国男「地名の研究」より引用)と嘆いている。
この清哲村は現在は韮崎市に入っているが、市内の地名としては清哲町として存在している。
こういった、文字の合成は、各所に見られる。
宇和島の近くでは、城川町が昭和34年、黒瀬川村から町名を変更する際、旧村名の魚成(うおなし)、高川、土居、遊子川、の文字を組み合わせで、城川にした。松野町は、松丸町と吉野生村が昭和30年に合併して文字を組み合わせた。
有名なところでは、東京都大田区が、大森+蒲田の合成であることにみられる。
これに対して。鏡先生親子の著書「地名の語源」(角川書店)では、次のように警告を発している。
「東京都大田区は大きい田の意味ではない。1947年に大森・蒲田の二区を合併した時、その一字ずつを合わせて作った名である。このような名は一見平等に名の部分をよせ合わせたように見えるが、意味的には全く上下つながらないのみならず、とくにこの「大田」のように「おおた」と訓で読まれると、いかにも「大」と「田」とが意味的につながりがあるように読めてしまい、語源をこの字面で考える誤りのもととなる。
このような作字を合成地名という。字を合成した結果が、元素が化合して新しい物質が合成されるように、新しい意味が生まれてしまう。このような地名語義の本来の姿を破壊する命名は明治以降にはなはだ多く、ある意味では、近代の地名公害の一つと言いたい。特に地名の語源を考えるにあたっては、このような新しい語形で、古代を考えないように、ある時代に合成された地名ではないかをあらかじめ調べる必要がある。」
同書から、拾った、○○な地名の代表をあげて見る。○○はそこに現在すんでいる方には何の責任もないので、伏せ字としたが、適当に考えてください。
合成地名、郡編
千葉県長生郡=長柄+埴生
岐阜県海津町=海西+下石津
和歌山県海草郡=海部(あま)+名草
佐賀県三養基郡=三根(みね)+養父(やぶ)+基肄(きい)
鳥取県八頭郡=八上(やかみ)+智頭(ちず)
特に合成の多いのが、香川県。
香川、小豆の郡以外は全部合成の郡名だそうです。
大川郡=大内+寒川
木田郡=三木+山田
綾歌郡=阿野(あや)+鵜足(うた)
仲多度郡=那珂+多度
三豊郡=三野+豊田
かわったところでは福島県の双葉郡で、楢葉(ならは)+標(しねは)でふたつの「は」だそうです。
市名編
国立市=国分寺+立川
昭島市=昭和+拝島
更埴市=更科+埴科(はにしな) あっ、気がついたら、更埴市もなくなり千曲市になっていた。土佐の長宗我部氏はこの当たりの出身ではなかったかな?関係ないか。
蒲郡市=蒲形+西郡
稲沢市=稲葉+小沢
羽島市=羽栗+中島+羽島郡という合成地名
玉野市=玉+宇野
行橋市=行事(ぎょうじ)+大橋
※変わった付け方として赤穂市の鷆和(てんわ)というところがあるそうだ。
元来は槇木(まき)と鳥打(となで)とを偏と旁に合わせたのだが、文字が読みにくいという事で、赤穂線の駅名は天和(てんわ)と変えてしまった。埼玉が「さいたま」になったみたいだが、日本人はここまで漢字が読めなくなってきたのだろうか。(まあ、鷆和と言う文字は確かに読めないだろうけど、埼玉なら読めると思うが)
語源錯覚の危険
合成の結果、よくある地名型と同語形、同字体になったものは、その形で語源が考えられる危険性を与える事になる。
山の麓にはよく、山本、とか本山の地名がある。しかし、JRの駅名の摂津本山のある、神戸市東灘区の本山は山麓にあるものの、明治22年に本庄(ほんじょう)と山路(やまじ)をあわせて、本山村を作ったものである。
地名に多く見られる「神保」も高崎線の駅名の「神保原」とは全く無関係である。
石神+忍保(おしほ)+八町河原(はっちょうがわら)
また、長野県駒ヶ根市の赤穂(あかほ)は赤須(あかす)+上穂(うわぶ)の合成で、播州の赤穂(あこう)とは同じ地名形として論ずることは全く出来ない。
上記のように昭和52年に刊行された著書のなかで、鏡先生は地名を勝手にさわりまくることに警鐘を鳴らしているが、この平成の大合併で、また、日本文化は破壊されて行くことだろう。自然と同じように破壊されたものは、なかなか復元が難しいことだと思う。
余談ながら、ATOKは凄い。地名を変換したら、たいていは正確な漢字を出すことが出来た。鷆和(てんわ)は、原本のほうに誤植があったようで、原本は鳥が頁になっていた。ATOKの方が正確だと思い、確かめもしないで、この文字にした。
追加/愛媛県南宇和郡では、合併後の新町名を「愛南町」という名前に決めたらしい。まあ、愛媛県の南だからと言うことなのだろう。最近では、北宇和郡広見町、松野町、日吉村が選考した結果「きほく」という名前に決定したらしい(平成15年4月3日)
どうも雲行きが変わりました。松野町は離脱を宣言。きほく町は日吉村と広見町だけで進めるようです。(平成16年2月更新)
◆平成16年3月9日 広見町と日吉村は新町名を検討するというニュースを知った。「きほく町」にはならないらしいが、もっと奇妙な名前にならなければ良いけれど。
やったね、(?_?) 時代の流れにそった軽佻浮薄な平仮名の地名。漢字の鬼北が嫌だったのかな?ニュースの解説では、やさしいという事を強調していたけれど。これがそのうちに喜北などと変わらなければいいけれど。まあ、アトムとかスマップなんて地名じゃなくて少しは安堵したけれど。隣に平仮名の町ができるなんて考えてもいなかった。
◎平成16年9月 松野町が合併離脱をし改めて広見町、日吉村で鬼北町という町名で愛媛県に届けを出したらしい。
最近でも、東予地方では、四国中央市という新市名に決まったらしい。何度も言うようだが、地名は歴史を物語っている。地名を消滅する事は、歴史を抹消する事に等しい。
地名は、記号番号では無い。青森県弘前市といえばねぷた、山口県萩市といえば、松下村塾が浮かんでくる。北のA−5、だとか、西BB−4などとは全くニュアンスの違うものである。
愛南町と決まった話を聞いたとき、西海町在住の郷土史家の方に、伺ったが「もう、仕方がない」と嘆いておられた。様々な文化が破壊されている現状を痛感しておられるのだろう。携帯文化の時代である。
それほど地名ねつ造に躍起になるのであれば、どこもかも東京もどきの地名にすれば良いだろう。しかしかたくなに合併を拒んでいる地方もあると聞いた。がんばってほしいと思う。砥部町では松山に加わりたくて仕方がない、新興住民が、それまで、小合併にこだわっていた町長をリコールして、松山のしっぽになることを選んでいるように感じられる。高齢化社会で、これから老人福祉が重要な問題になるが、前町長はその事を心配して小合併にこだわっていたらしいが、これからどうなる事やら。まあ、よそ様のことに口出しはしないが。(砥部では合併には松山とは別な方向を模索しているらしい)
それにしても、過疎の村が消滅することは悲しいことだ。小さな村だからこそ人の気持ちの通いあえる地域が形成されるのだろう。全国の小学校が、「二十四の瞳」のような分校で、大石先生のような人ばかりであったら、非行、犯罪など皆無であろうに。マンモスが死滅したのはその強大な身体にあったからであろう。何でも合理化が良いとばかりはいえないだろう。こぢんまりとした学校で教育をすれば、強制的に愛国心など教えなくても、人は自分たちのすんでいるところを愛するだろう。弱いものをいたわり、ともに笑いともに泣く。それこそ理想かもしれないが、ガキ大将はいても、陰湿ないじめや非行などは無いだろう。
「鶏口となるも牛後となる無かれ」、昔習った言葉であるが。「寄らば大樹の陰」なのであろう。
私の選んだびっくり地名
やはりトップは、山梨県の「南アルプス市」これほどインパクトの強い、日本を忘れさせる異様な市名はすごい。そのうちハイジ町なんてできるのでは。これを選んだ人々に賞賛を送りたい。みどり台。若葉台、希望が丘、不動産屋が宅地造成して作った集合団地と同じだ。
後は、ドングリの背比べかな、こうやって見ると、南宇和郡の「愛南町」なんて、どこの誰が作ったものか判らないけれど、かわいいものだ。
冒頭にも記載したが、今度の合併で使われる名前が宇和島市に決定したそうだ。
全国の宇和島出身のみなさんは、やきもきしていたことと思われるが、これで宇和島の名称が消える心配も無くなったようだ。まずは安堵。流れに逆らい漢字のもとのままの地名を残す事を選んだ住民に拍手。あと500年は残してほしい。
平成15年8月下旬追加
「四国中央市」の名前が物議をかもしだしているようで、再検討を求める住民の声が高まったが、決めた人たち(いったいどういう選定なんでしょうかネー)は一度正式に決定されたものを覆す訳にはいかないと、断ったとか。それに比べて「高原町」と決定していた上浮穴の町は「久万」を入れることにしたとか。
さすがに「奈良県・明日香村」は目先の損得ではなく、我が国における歴史的な重要性を認識して、村のままでいく事に決定したとか。四国中央市と明日香村見事な対比であった。
平成15年9月末追加
とうとう東宇和郡の宇和町、明浜町、城川町、西宇和郡の三瓶町は「西予市」と言う名前に決まったらしい。以前宇和町在住の方から憤りを感じる旨のメールをいただいた。卯之町などは由緒在る名前だ。どうも聞いた所では、宇和の名前を残しておきたいのを、某町の人たちがそれでは宇和町に編入したことになる、といって強硬に反対したらしい。だったら、今まで東宇和郡を使っていたことはどういう事なのだろうか。どこかに組み込まれるとか、云々などとちんけな事にこだわるなんて、島国根性丸出しだね。
それにひきかえ、西条市は良かったね。西条市、東予市、丹原町、小松町、の委員の人たちに拍手を送りたい。候補名にはほかに「石鎚市」「いしづち市」「道前市」「ひうち市」などが在ったようだが29名の委員中23人が「西条市」を選んだようだ。じぶんちが一番だという感覚ではなく、無難といえばそうだが、こだわることなく由緒ある地名を残した西条市になる新地域の方に賞賛を送りたい。四国中央市、西予市、を選んだ人たち、まだ時間があるから再検討したら。まあ無理だろうけど。
最近にもめ始めたのが、伊予郡松前町と伊予市、中山町、双海町。伊予市が突然離脱を発表し、飛び地になるために中山町、双海町があわてて伊予市との三市町での協議会を結成。これに対して愛媛県知事が異例とも思われる、伊予市の対応を批判。あめ玉と鞭。必然性があっての合併ならともかく、急に地方の合理化を急ぐものだから、地域エゴが続出して合併が破談になるケースが増えてきたようだ。ここは地名云々ではなく、具体的な政策で食い違いが出てきたようだ。