〜 一 隅 を 照 ら す 〜

比叡山延暦寺 千手院住職 小 林 隆 彰 師


■手を合わす心

皆さん、こんにちは。ようこそいらっしゃいました。ただ今ご紹介をいただきました小林隆彰でございます。
ご紹介いただきましたように、四国の香川県の善通寺出身でございます。現在、四国教区の宗務所長をしていらっしゃる大岡さんのお父さんが比叡山延暦寺・千手院住職 小林隆彰 師以前、香川県の金倉寺住職でして、そのお師匠さんに松田俊雄という方がおられ、その方に得度してもらいまして、そして比叡山に来ました。大変四国には因縁が深くて、足向けができないわけです。そんなことで、今日は喜んでお邪魔したわけです。よろしくお願いしたいと思います。
お歳を伺うと大変ご無礼ですけれども、私は今年71歳です。みなさんは大体一緒ぐらいですか?。私より上の方は手を挙げてください。結構いらっしゃいますな。歳を取ったらあんまり遠慮しなくていいですよ。思うことを何でも言っておかないと、いつ死ぬかわかりませんから(笑)。そんなことで、みなさんも遠慮せずにお話をされたらいいと思っております。
"一隅を照らす運動"というのは、先程も大岡所長さんからご紹介がございました通り、随分永い歴史を持っております。これがなかなかどうも爆発的に広がっていかない。"一隅を照らす"という言葉はもうみんな知るようになったのですが、それが大きく動いていかないというところに悩みがございまして、結局これは、いくら住職がやかましく言っても、本山が旗を振っても、やっぱり一人ひとりがその気にならなければ、どうにもならない、というふうな状態だと思うのです。もちろん全国で大会が毎年毎年開かれておりますから、本山も忙しい、あちこち行かなくてはいけない。多い所では軽く2000人くらいの方が集まりますから、そうして大会をやっているわけです。それでもまだまだ、1200年の歴史を持つ天台宗としては力が弱いというふうに思っております。よその宗派もいろいろとやっていますけれども、天台宗の一隅を照らす運動は、大変注目を集めております。ということは、天台宗は日本仏教各宗の母山と言われていますから、
「親元がしっかりせんと子もいかんわな」
というふうに皆こう言うわけです。
「天台宗がしっかりしてもらわんと、私ら動きようがありませんがな」
自分らが動かなくても親元に要求する、こういう癖がございます。そんなことなので、どうしても最後は我々一人ひとり、みなさん一人ひとりが一隅を照らすということを頭に置いて、胸に刻んで若い者にそれを伝えていかなくてはならないというふうに思うわけです。今日も宇和島市で一隅を照らす運動推進大会が開かれたわけでございますので、是非そのことを心に深く入れられてお帰りいただきたいと思っています。
私も、一隅を照らす、照らすと言っても、自分が照らしていないので、お恥ずかしいですけど、私の経験したことなんかを少しみなさんにお話を申し上げていきたいと思います。というのは四国という所は基本的には非常に信心深い所なんです。全国あちらこちら歩いてみても、四国の人は人柄が良いようです。何でこんなに人柄が良いのだろうかというと、どうも弘法大師とか智証大師とか偉い人がたくさん出ている。この四国という土壌、土地柄がいいのだと思います。四国という土地は、信心深い、心のやさしい人が育つ土地だそうです。そんなこと言ったら自分の胸に尋ねて、ホンマかなと思うことがあるかもしれませんが(笑)。よそから見ると、とにかく四国の人は心のやさしい、人の気持ちを深く理解するという能力が、生まれた時からあるんですね。
一隅を照らす運動推進四国大会(宇和島自動車会館/H11.11.17)私の子供の時、母親が信心深い人でお不動様を信仰しておりましたので、毎年春と秋には大通りに出てお遍路さんのお接待をするわけです。母はお餅をついたり、あるいは豆を煎ったり、自分の所にあるものを集めては、一人でやるか、何人かで組んでやるか、毎年春と秋にやっていました。だから人に対してお接待をして差し上げるということが当たり前のような感じで育っておりました。春が来ると私どもの所では「七か所参り」といって、善通寺さん、金倉寺さんへ、あるいは出釈迦寺さんや曼荼羅寺さんというふうに詣る。天台も真言もありますが、まとめて近くの7つのお寺をちゃんと詣ってくる。これは村の年中行事です。だから当然みんなが行きますから、行かないと恥ずかしい。
「あんたの所、行ったんか?」
「まだ行っていないで」と言ったら恥ずかしい。子供も当然、親に付いていきますから家族みんなが七か所参りをするということになっております。どうもこの頃それがだんだんなくなって、歩かなくなっている。車で行ってしまいます。親が子供を連れて行かなくなった。おじいちゃん、おばあちゃんも子供たちを連れて行かなくなった。というところに四国の人々の信心の心がだんだん薄くなってきたんじゃないかというふうに思うのです。四国の人の家の仏壇は、ちゃんとお花が上がって、水が上がって、朝晩詣っている、そういう家が多いのです。
ところが、最近それが、だんだん、だんだん退化しかけているのではないか。というのは、子供が独立していくと核家族になっていく。仏壇がない家がどんどん増えている。仏壇のない家は良い子が育たないと昔からいわれています。だから当然どんな家もちゃんと仏壇を置いてご先祖様を祀って、仏さんを祀って、お盆もお正月もちゃんとお飾りをして、お詣りをすることが当たり前でありました。仏壇がなくなると、お詣りする場所がなくなる。場所がなくなると、家に中心がなくなる。普通、家を建てる時には、仏壇をここに置いて、床の間がここでと決まっているのです。仏壇を置いて、すぐ隣に床の間がありましてね、そこにお客様がおいでになると決まっているのです。そういう家の形もだんだん変わってきました。仏壇のことも考えないわけですから、誰が中心になるかというと、子供が中心になってくる。子供のために何でもしてやると、こうなってくる。子供のためにしてやろうかということで、子供のために与えることばかり考えてくるわけです。こうなってくると、子供の要求に何でも応えていかなくてはならない。そんなことで家そのものがおかしくなってまいりました。
私は、信徒の人の家を訪ねたりします時、「こんにちは」と言ったら、さっさと座敷に上がって仏壇の前へ座ります。これは坊さん当たり前、四国だったら当然ですね。坊さんが来たら仏壇へ行くのが当たり前です。タカタカッと仏壇へ行く。そこで感じることですが、玄関の花が立派な家は仏壇の花が汚い。これはもう間違いないですね。玄関でこの花だったら5000円も1万円もするのと違うだろうかという花がデーンとある。だからこれほど玄関に立派な花を上げているのだったら、仏壇は立派な花が上がっているだろうなと思ったら、枯れてますな。夏なんかに行きますと、仏壇が臭いんです。水が腐っているところがあります。
みなさんの家はそんなことはないでしょうけどね。お線香を上げようと思ったら、上げるお線香がない。ロウソクはあるかないか、探しまわらなければならない。マッチなんか、もちろん置いていない。ロウソクでも上げようと思うと、まず線香立ての香炉の中の灰をかき混ぜて、それから何とか点けるということです。こういう家がたくさんあるのです。そんなことは恐ろしい話ですが、嘘ではない。「こんにちは」と言うと、奥さんが慌て走って行く。どこへ行くかというと、仏間へ行きます。そういう家に限って、仏壇は汚れているが、玄関は美しい。
「いい花だなぁ。本当にこの人は立派なお花の先生だなぁ」というのがあるわけです(笑)。
そんなことを見ますと、どうもこれは、ものの考え方がひっくり返ってしまっているんじゃないですか。一番大事なことを一番粗末にしておいて、どうでもよいことを、人に見てもらうことばかりをきれいにしたがる。だから、これはもう大変な問題だということです。これが世の中の姿であります。仏壇があるところはまだいいんです。仏壇のないところはお供えするところもないのです。
"一隅を照らす"というのは一番最初はどこから始まったかというと、人々に信仰心をしっかりと持ってもらうところから始まったのです。一番大事なのは我々人間一人ひとりが手を合わす気持ちになれば、自然に一隅を照らすという仕事ができるのです。手を合わすことをきちんとしないでおいて、"一隅を照らす"ことなどできるわけがない。表向きばかりきれいにして、
「ああ、できました、できました」
と言ったら、中は空っぽで、袋ばかりになる。これではいけない。基本的にはまず信心を大事にしないといけない。仏様を尊ぶ心とか、ご先祖様を敬う心、それがそのまま親を大事にする心であり、いい若者を育てる基本的な精神なのです。一番大事なことを放っておいて、良い子を育てなければならないとか、教育をどうしろとか言いますよね。ここに私は大きな問題があるというふうに思っているわけです。四国の人はそんな心配はありません。ちゃんと朝晩に仏壇に詣っているだろうなと。さっきも、『般若心経』を唱えておられるのを見ていると、大体、口が開いていましたね。
「ああ、朝晩詣っているかなぁ、四国の人は。仏さんを大事にしているかなぁ、ご飯を上げているかなぁ、自分だけうまいものを食べていないだろうなぁ、ご先祖さんを粗末にしていないだろうかなぁ」
と、自分に言い聞かせながら、人様にもそんなことを言うわけです。
今日は手を合わせている人が来ているのだから、当たり前のことだと思いますが、これが私は肝心だと思います。家族の中で、手を合わしているかどうか。お父さん、お母さんが、夜、仏壇に詣っているか。朝、仏さんに詣っているか。ということから実はこの一隅を照らすという仕事が始まるのであります。だから、「手を合わすのは坊さんの仕事だ」というふうになったら、これは大間違いであります。坊さんは当たり前、坊さんというのは基本的には心の道案内みたいなものですからね。案内人というのは、バスに乗って、今日、松山へ行こうか。松山へ行くとなったら、まず案内する人は松山をよく知っておかなければならないです。松山のことを知らない人に案内されては誠に迷惑であります。坊さんは、勉強をし、修行して、みんなに心の案内をしなくてはならない。心の案内ができたら、もう一人前なんです。お経も大切ですが、心の案内ができたらいいのであります。
それから檀信徒の人、一隅を照らす運動の推進会員といわれる人は、やっぱり、まわりの人の案内人にならなければなりません。少なくとも50歳を過ぎたら、人生の案内人にならないといけません。誰の案内人になるのかというと、これは当然、まず家族の案内人にならないといけません。若い者に対して、お爺ちゃん、お婆ちゃんが案内人たりうるか、案内できるか、と。ところが、
「ワシはなぁ、あと面倒見てもらうばかりだ。この頃、介護保険もやかましくなっているから、できたら、うまいこと面倒を見てもらって、死ねば結構だ」
と、そんなことでは駄目なんです。自分が健康な間は一生懸命に若い人の案内をしなくてはならない。何の案内をするかというと、これは心の案内をする。心の案内をするといったら、手を合わす心の案内をするわけです。
「うちの若い者はこの頃、手を合わすどころではありません。ゴルフしているか、パチンコしているか、酒を飲んでいるかというところで、さっぱりですわ」
と言うのは、誰が悪いかと言ったら、親が悪いわけです。子供が悪いわけではないのです。悪いのは全部、先輩が、案内人が悪いのですから、「自分たちが悪いから、いかんのだ」と思って、「何をするのか」と言ったら、まず、天台宗では、朝晩、ちゃんと仏様にお詣りをする。短いお経を上げ、お線香を上げて、若い人に手本を示さなくてはなりません。それができなければ、単なる年寄った人に過ぎない。若い者にたくさん保険を掛けさせて、そして金を使って死んでいく。後に残すものは、悪い種ばかりということになりがちなのです。そうなっては絶対に困ると思うから、是非ともお互いに努力をしましょう。特に50歳を過ぎたら、みんなの先達にならなくてはなりません。先達がしっかりしないと、後がしっかりするはずがない。船に乗っても、航海士がしっかりしていないとみんなが難破してしまう、というふうに思います。"一隅を照らす"ということも、そういうことを目当てにしてやっているわけでございます。
まず基本的には、最初にお願いしたいのは、一隅を照らす運動推進会員のみなさん方は朝晩ちゃんとお仏壇にお詣りをしてもらいたい。仏壇を大事に、親や先祖を大事にしたら、親の姿を子供が見ていると、すぐには何もしませんけれども、だんだん真似をする。それがスタートで、相続できることになります。
今、学問の世界でも、将来世代継承研究というのがあります。私もこの前、京都で講演をしてきたのですが、将来に何を伝えていくか。すなわち若い人に自分は何を伝えるのか。天台宗の宗徒として、何を伝え、後継者を育てていくかを考え、実行に移していかなければなりません。
「お父さん、お母さんは頑固な人だった。融通の利かない人だったけれども、とにかく仏壇を大事にしたなぁ、ご先祖さんを大事にしたなぁ、お墓掃除をちゃんとしたなぁ。若い者に対して言うべきことは言っていたなぁ」
と、そういうことを将来に伝えていかなければ、恐ろしい世の中になってしまうのです。


■私の仏縁

もうずっと大昔になるのですが、私自身、何で仏様を信じるようになったのかと言えば、もちろん親の影響、一番大きいのは親の影響ですね。もう一つ、小学校6年生の時に、四国の土讃線で鉄道事故に遭ってからです。多度津という所から琴平まで、朝の通勤用のガソリンカーが走っていたんです。昭和14.5年くらいかな、戦争が始まる前くらいの時でした。その頃、毎朝、同じ時間にガソリンカーが琴平を出発して北へ向かって多度津へ行くわけです。冬は北風が強いものですから、ガソリンカーの音がしない。その朝、丁度私たちが学校へ行くくらいの頃にお遍路さんがその道を通ります。お遍路さんといっても、四国八十八か所をまわるみなさんではなくて、乞食遍路といいましてね、木賃宿に泊まり込んで、遍路の格好をして、物もらいをして生活するのです。1年でも2年でも、そこに定住して、今日はこの部落、明日はあの部落と、順番にまわって物をもらって歩く。
ところが四国の人は元々、信心深いですから、そういう商売で来ているお遍路さんでも、ひょっとしたら弘法大師の身代わりかもわからないと思い、大抵の人は物を上げるわけです。米をもらったり、お金をもらったりするから、そこそこ生活ができる。毎日どこかの村へご出勤になるわけです。
私たちが通学する頃に、その人たち何人かがトボトボとうつむいて歩いていました。香川県という所は、北風が強いんです。狭い県ですが、北風が吹くと結構寒い。
汽車が南から来ますと、北から風が吹いてきますので音がしない。踏切を渡って行くわけです。踏切といっても、もちろん無人です。そこをうつむいて歩いて踏切を越える。私は丁度その日、そのお遍路さんから3.40メートルほど後を歩いていました。そしたら、そのお遍路さんが踏切を越えようと思ったら、そこへ汽車が来たわけです。バーンと跳ねられた。まるでゴム鞠が跳ぶように、ポーンとやられて、道路に叩きつけられ、バチンと音がした。もちろん舗装などしていません。トラックが通るから、エクボどころではない何とも言えない悪い道です。そこへ力一杯バシーンとぶつけられて、血がパーッと飛び散った。見ていたんですよ、「あー、コワー」と思ったけど、もう身が縮むような心地でした。
「何と、人間というもは簡単に死ぬものやなー」
というふうに、その時思いました。
それを見てから一週間ほどしてのことです。その日ちょっと学校へ行くのが遅くなって、もう遅れると思って、自転車を引っ張り出して乗って行った。お遍路さんが跳ねられた時間にそこへ行ったんです。粉雪の中をうつむいて走っていって、その踏切をジューッと上がったら、すぐ左側に汽車がいる。私も跳ねられたんです。跳ねられたというよりも、後ろのサドルの所を跳ねられてね。飛び降りたんでしょう。だからズック靴が脱げて、半分にパッと割れていました。自転車は大破しましたし、学校の教科書はバラバラになっていた。でも、その前にまた琴平参宮電鉄という電車が来て、それが止まっているんです。私を跳ねた汽車が止まりかけたけれども、私が「何ともないよ」と手を振ったら安心して行ってしまいました。教科書やノートをかき集めて、裸足で必死に走って学校へ行きました。なんとか間に合って、無遅刻、無欠席を通すことができました。
家に帰ってきましたら、母が飛んできて私の身体を抱いて、泣くのです。仏壇にはちゃんと灯火を上げ、神棚にはお酒を供えて拝んでいました。
「どうしたんだ!?」と私が言ったら、
「朝、お前が学校へ行ったのを心配で裏で見ていた」と、こう言うのです。
大事な子供が出かけていったら、汽車が来た。
「あーっ、もう、いかん!」と思ったら、汽車が行ってしまった。子供が手を振っている。もう、ひとえにこれはお救いだと思ったんですね。首に木の板のお守りを持たされているわけです。お不動さんの身代わりお守りを、昔はみんな持たされていたと思うのですが。
「それ、割れているやろ」
と、こう言うから、出してみたら、本当に割れているんです、粉々に。それを見て母は、
「これは助けてもらったんだよ」と泣いて喜びました。その頃から私は、
「人間というものは本当に無常なものやなぁ、元気そうにしているけれども、いつ命が終わるかわからない、何があるかわからない。確かなのは今だけだなぁ。明日のことはわからない」
と思うようになりました。その時、小学校6年生でした。それからだんだんと深く思うようになって、結局は比叡山へ来てしまった。母は大反対をしましたけれども、とうとう比叡山へ来て、小僧になってしまったわけです。それからもう60年が経ってしまいました。昭和18年のことですから、随分、古い話でございます。
そんなことで、子供の時に人とはちょっと違う仏縁をいただいたものですから、どうも人間には見えない世界というものがあるのではないかと思うようになりました。我々は見える世界だけを捉えて、ああだ、こうだと固定観念で判断する。見える世界だけを見て、判断をして善し悪しを言い、あるいは、尊敬してみたり、馬鹿にしてみたりするけれども、本当はもっと、見えない世界があるんじゃないか、というふうなことをだんだん思うようになりました。結局、そういうものを求めたいために、比叡山に来てしまったのです。
「人間は見えるものだけで判断してはいかん、固定観念はもってはいかん」
ということをずっと思わされてきたのです。
初めて比叡山に来ました時に、根本中堂へ行きましたら、まだ3月でしたから根本中堂には雪がいっぱい積もっているんですね。根本中堂の中庭の雪がドロドロなんです、汚いんです。
四国弁で「これなんな〜」と問いましたら、「雪じゃ」と言う。
「雪って白いものでしょうが?」と言ったら、
「いや、違う。この雪は暮れからずっと降って、だんだんとゴミが落ちてきて、汚れているが、これが雪じゃ」と言う。
私は雪というものは初めからきれいなものだと思っていた。子供の時、夜中に母親が「起きな、起きな。雪が降っとるんで」と言う。
茶碗にお砂糖を入れて、雪をすくって食べました、表の雪の中で。その時、9センチも積もりました。覚えているんです。
「雪は、うまいもの」と思った。本当は実はそうではない。きれいな時はおいしいけれども、汚れたら食べられるものじゃない。
私の師僧だった生田孝憲師は、
「人間はなぁ、固定観念というものを持ってはいかんぞ」
ということを初めて言われたことがあります。決まったものはない。
「この人はこんな人や、あの人はあんな人や、と決めつけるけども、どんなに悪い人でも心を改めて、改心をしたら善人になる」
比叡山の無動寺で小僧をしていた頃のことです。雪が降りますと、水が止まるんです。仕方がないから谷へ水を汲みに行くとか、雪をすくってお茶を沸かすとか、こんな生活でした。お茶の葉っぱは入れなくてよろしいですな。もう色が付いているんです。濁っているんです、かび臭い水。上から落ちてくる水は、きれいなものだと思っていたけれども、本当はいっぱいゴミが入っている。
「世の中というものは、まず固定観念という決まったものはないと思え」
ということを、師僧にしっかりと教えられました。
実は昨日、滋賀刑務所の教誨に行って来ました。私の担当も何人かいるわけです。
昨日面談した人は何をしたかと言いましたら、歳は42歳で、傷害と窃盗と強姦の3つをやった。窃盗の方は金を返した。強姦の方も300万円払って、もう話は済んだ。刑務所へ入って4年8か月ちょっとです。よく話を聞いてみたら、
「事件が発覚して、4か日目に母が自殺しました、首を括って・・・。親に対してスマンと思う。今までやったことは、みんな本当に申し訳なかった」
と、こう言って、おいおい泣くわけですよ。お母さんが18日に亡くなったんですが、
「18日になったら、首をギューッと締められる。寝ていても目が覚めるし、起きていても首を締めつけられる。本当に怖い。申し訳ないと思うんです」
と、30分くらい話をして、おいおいと泣くものですから、
「あんた、子供があるでしょう?」
「はい」
嫁さんは逃げてしまったけれども、子供がいる。
「その子供がだいぶ大きくなって、これからが心配でかないません」
「お母さんが首を吊って死んだのは、よっぽど辛かったに違いない。子供になんとか改心してもらいたい、まともになってもらいたい、と思って死んだに違いない。その思いは今もずっと続いているんだ。あんたの子供がかわいいように、親は死んでも子がかわいいんだ。だから、なんとかここで自分で更生し、心から懺悔をして、あなたの子を立派に育てなさい。立派にしてお返しをしなさい」
と言って、昨日は終わりました。毎月これから会うんですけどね。
その人を見ていたら、そんなに悪いことしたような顔をしていない。本当にとてもいい顔をしている。悔い改めているわけです。しかし国の法律では、その罪によって、ちゃんと刑量が決まっていますから、「すいません、すいません」とおいおい泣いてみても、お詫びをして血の涙を流してみても、刑量だけは務めなければならない。これは当たり前のことです。人間は縁によって何をするかわからない。おそろしい風が吹いてくると、自分の心が変わってしまう。だから、
「自分の心の在処をよく考えて、まともに行こうじゃないか」と言ってきました。
私だって、刑務所の教誨室で一対一で座っていますとね、
「いやー、私がここで居るのはおかしい。ひょっとしたら、罪人となって教誨させられているかも・・・」
私がここに座っているということは、よほど仏様にお守りいただいているのに違いないと思う。何かがあったら、私が人を殺しているかもわからない。だから相手の姿を見て、こうだ、ああだと決め込むことは人生を誤らす、と今頃思うのです。
とにかくどちらにしましても、一番大事なことは、仏を信じる心というものが出てくると、人間はまともになっていくのだなぁということを思うのです。どんなに立派なことを言っていましても、仏を信じる、先祖を大事にする、みんなのお陰であるということを思わない人は、本当は内心が腐っていると思って間違いない。よくそう思います。


■私の闘病体験

私の体験ばかりを言って恐縮ですけど、去年大病をしました。やっと元気になったわけです。後従靱帯骨化症という病気です。難しい病気です。どういう病気かといったら、首の骨を守ったり、頸椎の中にあるすべての神経を守ったりする靱帯が固くなって骨になるという病気です。珍しいですね。
山田恵諦お座主さんも、その病気だったというから、「お座主さんと一緒だったら、ええわ」と思っていたんです。そしたら、お医者さんが、
「小林さん、あんたはまだ若いんだから、早く手術しなさいよ。こんなもの、すぐ治ります。首を切って削ったら、それで仕舞いです」と、こう言う。
外科はとにかく荒いですね。首を切って骨を外して、悪いところを除けて、そこに何か人骨みたいなものを入れるのです。
「恐ろしいことをするなぁ」
「日本人は100人に1人は皆、発病しています。しかもこれはモンゴル系のDNA(遺伝子)を持っている人しかなりません」
と、こう言うのです。
「モンゴリヤンか、これは」
四国の人なんかは大体朝鮮系統かな。九州の方は隼人だから、南から来る方だと思いますが。大体そんなことだそうです。子供が産まれて、尻が青かったら、皆モンゴルだそうです。弥生人で文化人です。ところがモンゴル系だから西洋人にこの病気はない。それで医学が発展していないのです。
「じゃ、あんたに任せます」と、その医師に任せまして、去年の7月9日に手術をしました。
「手術時間は2時間、入院期間は2週間」と言うから、安心して入った。
ところが手術開始から5時間経っても出てこない。家族とかお弟子さんとかいっぱいいる部屋へ、そのお医者さんが来て、真っ青な顔をして、
「えらいことになりました!」と言うわけです。
「経験しないことが起こりました」
手術をする前に導尿をして、手術を始め、半分くらい済んだところで首の骨がどんどん腫れてきている。
「おかしい!」
お腹が太鼓のようにポンポンに膨れ、小便が止まって血が出ている。
「えらいことだ!」と、慌てふためいた。どうやら、尿を採る時に膀胱のところを誤って横に穴を開けたものだから血が出てきた。血が出て、尿道を止めてしまった。手術をしている医者はそんなことを知らない。
「これはえらいことだぞ」
それから慌てふためいて、結局、手術は7時間程かかりました。6時間くらい経過した頃、担当の医師が家族たちのいる部屋へ青い顔をして来て言うのには、
「実は、心臓が6分間止まりました。4分止まると半身不随です。8分で完全に死にます。6分ですから、よくて植物人間。ごめんなさい、もしものことがありましたら堪忍してください」
と、こう言うんですね。ところが、そんなことでみんなが打ちひしがれている時です。1時間30分ほどして医者が入ってきました。今度はニコニコした顔です。
「いやー、麻酔が切れてみましたら両手が動きました。もう何ともありません。大丈夫です、完全に治ります」とこう言う。医者の話を聞いて、皆がワーッと泣いたそうです。
その明くる日、その医者が来ましてね。
「小林さん、あなたは裁判に訴えないと思うから、すべてを申しますけどね。本当に神仏のお陰です。こんなことになるはずがない。絶対に駄目だと思った」
と言うのです。私が退院する時に、看護婦の婦長さんが、
「あれ、小林さん、立ってはる」とこう言うのです。
「立って歩いてはる。絶対に歩けないと思った。これはあかんだろうなと思ったのが立って歩いてはる。不思議や」と。
医者は「ひとえに神仏のお陰です。神様、仏様のお陰です。医者がこんなことを言ってすんませんけど・・・」と、深々と頭を下げられました。
それから4日間、一睡もできませんでした。同じ手術で3回も麻酔をかけられましたから、体中が麻酔漬けです。当然、体調は最悪。
ところが、4日間眠れないのが私にとって大変幸運でした。
と申しますのは、4日目の夜、じっと天井を見ていましたら、その天井が急に金色に輝きだしたのです。そこへ金々満々の仏様たちが現れたのです。丁度、三十三間堂(京都)の千一体の観音様が、創建当時を思わせる美しさと神々しさで現れたのかと思うほどでした。あまりの美しさに驚きながら、付添の弟子に
「あの天井の仏様たちが見えるか?」と、問いましたら、
「いえ、何も見えません」と答えるのです。
それからしばらくして、今度は比叡山の大講堂に祀られている各宗のお祖師さんが次々に天井に現れてくるのです。それぞれがそれぞれの方向に向かって説法をしている。この祖師たちは、皆、比叡山で修行した後、山を下って宗派を開いた人たちです。この人は法然さん、この人は日蓮さんと、はっきりわかるのです。その次に母が出てくる、山田恵諦お座主は出てくる、箱崎文応師は出てくる、行者が出てくる。叔母か出てくる。私は叔母が苦手でしてね。
「おまえは来世があると思うか」と、昔聞かれたことがありました。
「さーて、見たことないので、わからん」と答えると、
「坊主がこれでええのか」と、えらい叱られて、
「坊さんになったということは、来世まで人をちゃんと案内せないかん。そんなことでは、お前、どうするんじゃ」
と。それからずっと、そのことが私の頭の中にありまして、私は来世があると今も信じていますけれども。
その叔母さんが出てくるんです。死んだ人が次々に出てくる。これはもういよいよ死が近いと思い、私の葬式の方法まで全部指示していました。
ところが、5日目から急に元気になり始めて、どんどん回復をいたしました。38日間寝て、最後に膀胱の手術を受けて退院しまして以来、こういう調子、元気になりました。
「本当にこれはスゴイものを見たなぁ。人間は見える世界だけではない、来世もあるし、仏の世界もある」
これは見た者でなければ信じませんから、こんなこと言うことではないのだけれども、私は、この年になってきますと、1回1回が遺言だと思って、みんなに信じる信じないにかかわらず、自分が尊かったと感じたことは言っておかなければならない、とこう思って、今話しているわけです。
その後、病院で寝られない時は、運心回峰をしていました。比叡山には運心回峰というのがありまして、千日回峰を終わった人が、お堂へ入って仏さんの前に座ったままで、頭の中で歩くんです。7時間かかって山を歩くのなら、7時間座っている。だから、無動寺の大乗院を出たら明王堂へ行って、根本中堂へ、大講堂の前を通って釈迦堂へ行く。『般若心経』とか『阿弥陀経』とかを唱えているわけです。
そんなことをしている時に、ふっと、この間お亡くなりになった山田恵諦お座主さんのことを思い出しました。あの方がお座主になられた頃、私がお供をして、北陸地方の檀家の家へ御親教へ行ったことがあります。朝の6時頃に、「ぼつぼつお座主さんもお目覚めかなぁ」と思って、部屋の障子を開けましたら、中はモウモウと煙っているのです。お座主さんは一生懸命お経をあげておられる。短いお経をあげてはお焼香をするのです。じっと聞いていると、誰かの戒名を唱えています。なかなか終わらない。部屋はモウモウとしている。お座主さんは、毎日、朝の勤行でこれをやっておられる、亡くなった人に対するご回向をなさっていたんですね。それで朝御飯の時に、
「お座主さん、今朝は随分と長いお勤めでしたね」と申し上げたら、
「ワシはもうこの歳になって、何も世間に対してお返しもできんし、お世話になったけれども、一つもお礼ができとらん。この世に生きておられる人は別としても、亡くなった人はもう取り返しがつかん。教えてもらったし、叱ってもらったし、物もいただいた。何一つもお礼ができずに死んでしまうと思うと申し訳ないので、毎朝一人ひとり戒名を読み上げてお礼を申している。これをずっと毎日やっているんだ。だんだん歳をとると増えてきてなぁ」
と、こう言われるのです。
「お世話になった人がたくさんあるのに、本当に何のお返しもせずに今日まで来ている。もったいないと思って、こうやっているんや」と、こう仰せられました。
その頃、私は30代でした。「これは、ワシも真似をしよう」と思ったけれども、残念ながら去年までしていませんでした。
もう一つ。私の若い時に、滋賀県の知事に谷口久次郎と言う人がいました。この人は農協出身の知事さんです。比叡山によく来て、いろいろお話をしてくださいました。その人は話になると、内ポケットから両親の位牌を出すんです。
「これはワシの両親や。ワシが今日、こうしておられるのも両親のお陰やと思うと、両親が恋しくなる」
とこう言われるのです。
「東京へ出張した時は、旅館に入った最初にこれを床の間に祀るんです。今日もこうしてご飯をいただける。人に言うのはおかしいけれども、この頃どうも親の恩を思わんというようなことが当たり前になってきた。これはもう我々年寄りの責任やと思うから、いつも自分でみんなに見せているのです。あんたもちゃんと見ときなさいや」
と言う。坊さんにしっかり説教をする谷口久次郎さんはすごい知事さんでした。その時も、
「あぁ、良いことを聞いたなぁ。これは真似をせねばならん。ワシもこれから袂に入れておこう」
と思ったのですけれども、いつの間にやら忘れてしまいました。結局、恩を忘れていたなということをしみじみ思いまして、「これではいかんなぁ」ということを去年やっと気がつきました。今までの私の人生は人間ではなかった。親の恩を思わなくても当たり前のように思って、何をしても自分の功績にする、手柄にする。悪い時は人を悪者にするような恐ろしい根性があるのですが、これはもう大きな間違いである。親の恩を思わないような者は人間ではないと、今やっと思っているのであります。
このことは、是非みなさんにお伝えを申し上げ、若い人に相続をしてもらいたい。若い人に続けてもらいたい。それは口で言っても聞きませんから、自分で行なって見せてもらいたい。ご先祖を大事にしたり、仏さんを拝んだり、親を大事にするような、そういう姿は堂々と見せるべきである。そうでないと、「親が勝手に生んだやないか、お前に生んでもらってなかったら、もっと良かったかもわからん。親が悪かったわ」と言って、子が悪いのを親の責任にするようになってくる。えらい世の中になってしまったなぁと思います。考えてみると、誰が悪いかというと、まあ親が悪いですね。先達が悪い。道案内する者が悪い道を案内するから、悪の道を歩いてしまうと思います。


■奪いの教育

この頃はどの雑誌を見ても、いや教育が悪いとか、あるいは自由主義の履き違いとか、理屈を言うんです。理屈を言うけれども、「私は悪かった」とはどこにも書いていないですね。みんな、人が悪い。評論家の先生も、「俺は悪くないんだ、回りが悪い」と、こう言っているわけです。これが一番悪いと思うのです。
私も実は坊主として今日まで比叡山で永いことお世話になって、毎日毎日、比叡山のことを考えて来ましたけれども、一番大事な恩ということを最初に頭の上に持ってこなかったことが、大きな間違いであったと思います。若い者が育たないのは当たり前だったなぁということを今頃になって反省をしています。若い者に言って聞かすには、自分でその姿を見てもらう、ということが大事だと思います。
戦後の教育、日本の教育は、私は奪いの教育だと思います。奪いの教育。奪いの精神構造というのですが、人間の心に奪いの精神構造を作ったと思うのです。私も戦前・戦中・戦後の教育を受けましたが、みなさんも、ほぼそういうことがおわかりだと思います。子供が学校へ行く。先生は赤旗を振って、「なんとか反対、なんとか反対、給料よこせ、米よこせ」と、こういうデモをする。子供は自習しながら教室でそれを見ている。先生がそうしているのを見て、「あぁ、いいことやなぁ」と思ったに違いない。そういう教育を受けて大きくなって、また次の子供を教育する。その先生がまた大きくなって、今もう3代になっているんです。その子供が、もう思うようにならなくなった。学級崩壊、学校崩壊の時代になってしまった。子供たちが平気で教室から出ていきます。先生の悪口も言います。もう教育ができないという。何でも自分中心に考える、相手の立場を考えない。相手の立場になるとか、人の恩をいただいているとかということは一切教えない。くれなければ奪ってもいい、とこう言う。取ってもいいと言う。
ずっと奪いの教育をしてきたのではないかというふうに思っています。だから特に今の我々を含めて、日本人はほとんど奪いの精神構造です。「もっと欲しい、もっと欲しい」ばかりで、「おおきに、有り難う」とは滅多に言わない。それを言うのは四国の人くらいですよ。四国の人はね、やはりお大師さん(弘法大師)のお陰だと思います。
ところが今の子供はもう、有り難うとは言わない。くれなければ怒るんです。仕舞いに親でも、鉄パイプで叩き殺すんです。家庭崩壊なんてすぐやります。自分の欲しいものをくれないと、くれない奴が悪いと言う。親の立場なんか考えない。親に対しても、くれないことが悪いことだと思うのです。これは、子供が悪いのではない、それだったら親が悪い。親がその心を子供に植え付けてきたのでしょう。
親は、「子供がかわいい、かわいい」と言って、奪いの精神構造をどんどん子供たちに教えている。それが学校崩壊に繋がり、いじめに繋がる。この頃、小学校や幼稚園でも、突然、他の子供をバーンと叩く子がいるんですね。ワーッと泣く子がいる。すぐ逃げ出す子がいる。それがもうクラスに3〜4人いたら、クラスが全部そんなふうになってしまいます。
一般的に親とは、「どんなことがあっても、子供を育てなければならん、子供はかわいい」と思って育てるものなのです。しかし、この頃はそういう人ばかりではありません。子供を産んだが、遊ぶのに邪魔になるから、しばらくパチンコに行っている間、子供をコインロッカーに入れておく。パチンコして帰ると死んでいる。あちこちであるんです、新聞に載らないだけで。そういうことを平気でやっているのです。それから、親が子供を折檻する。お母さんとお父さんが交互に自分の子供をいじめる。ご飯を食べさせずに殺す、叩く、踏みつける。報道されるのは、ほんの氷山の一角であるということです。
「自分のためだったら、何をしてもいいぞ」と、自分のことしか考えないように教えた。
「なんとか、これを直さなければならない」
それで私は言うのです。直さなければもう日本は駄目ですよ。日本は今、子供を産まない。母親1人平均で1.3人しか産まないのです。子供なんか産んでもしようがないと思うのです。子供を産んで育てたら、3000万円も、5000万円もかかるのだったら、2人で遊ぼうかなと夫婦が言う。結婚もしなくてもいいじゃないか、気楽に行こうや。男と女、仲良くするけど、そういうのがだんだん流行ってくる。
「日本はどうなるんだ!?」
ある新聞記者は言いました。
「いずれは外国人社会になるだろうな、日本は」
そう言うんですよ。というのは、子供を産まない、汚い仕事をしない。外国の人達は、みんな信心深い。日本人はだんだん信心が抜けかけている。目の前の利益だけに群がっている。それでどうなるかというと、外国から来た人は信心深い。子供をどんどん産んでいきます。それに選挙権を与えるとまで言っている。政府は外交的な問題もあるでしょうから、だんだん選挙権を与える。子供を産むのは、よその人。日本人は産まない。しかも奪いの精神構造、いつの間にやら日本は悪くなる。
取り返しがつかなくなりつつあると、真剣に言っていました。
「そうかもわからんなぁ」
自分たちが産まない分、日本人より外国人が増えるのではないですか。その人は家族を持っている。その人がどんどん人口を増やしていきます。そういうふうになりかねない。日本が日本でなくなる。これだけ日本というのは美しい国で、心の美しい、礼儀が正しい、人のことを思う、相手の立場になるというのが日本の国民性であったのが、今、全然反対になっています。


■お返しの心 〜顔施と言辞施〜

本当はこれから言うことを今日は講演に来ました。"一隅を照らす"という言葉は、言い換えると、"お返しの心"だと思うのです。今まで我々は奪ってきた。恩を思わずに、もっともっとでやってきた。そのために国がどんどん発展していった。自然環境まで奪った。自分たちの生活のために、自然環境を奪ってきた。人間の心も奪ってきた。子孫の心も奪ってきた。先祖の心も。ご先祖さんが聞いたら泣きますよ。自分の子供たちの姿を見て、先祖は泣くに違いない。
どうしたら良いか。私はね、ここで心を変えなければ良くならない。核家族の家庭の中でも、奪いの心を変えなければ。何をするのかといったら、私は"お返し"。今まで奪ったのだから、返さないといけない。親から身体をもらった。もらったけれども、もらったと思っていない、当たり前と思っている。お礼も言ったことがない。奪ってきたのだから、本来、返さないといけない。返すのは何から返すかというと、毎日の生活の中で、まず最初に返すことができるのは何か。心を、奪いの心から返す心にならないといけない。朝起きたら、「今日は何を返そうか」と思う。仏壇に詣って、
「今日も一日お世話になります。今日は何を返しましょうか」
と、問いかけるのです。
仏典には、いろんなことを書いています。『雑宝蔵経』というお経の中に、"無財の七施"というのがあります。これはみなさんよく知っていると思います。お金がなくても返すことができるものがあるということを書かれています。
みなさんは立派なお顔をしていらっしゃるのですが、家族は夫婦で始まって、親子ができる。親子は同じ血が流れていますから、仲が良くて当たり前なんです。それよりも駄目になりかねないのは夫婦です。他人ですからね。ひとつ違ったら大喧嘩する。今、日本は4組に1組が離婚しています。アメリカは2組に1組が離婚している。もう崩壊しかけている。
夫婦が基本になっているから、まず、夫婦から。死んだ人は知らないですよ。亡くなって一人になってしまった人は位牌を懐に入れてやって下さい。まず夫婦の間から返し合おうではないかと、私は提唱しています。返す、何を返すか。まず顔を返すんです、顔施。顔を返すというのは、夫婦の間で朝から優しい顔で相手をしようではないか。この頃、なかなか優しい顔をしないんですよ。奥さんでも、旦那さんでも、嫌そうな顔をしている。それが、はやもう奪っている。夫が妻の心を奪い、妻が夫の心を奪う。まず朝から、みなさん是非、それから始めましょう。まず夫婦の間であれ、家族の間でも、子供に対しても顔から返すのです。「優しい顔をせよ」ということです。
みなさんの顔は優しいのですけれども、鏡を見てみたらね、そこそこ恐ろしい顔もしていますよ。顔は人間の符丁だと言いますから、心が出ます。みんなそれぞれ特徴があるんですよ。それは実は顔だけでも人の心を奪っている。だから夫婦の間でも、60歳くらいになったら離婚が流行るわけですね。これから益々広がっていく気配ですけれども、そういうことにならないために、まず優しい顔を返そうではないかと、私は提唱しているのです。
それからもう一つは、言葉を返すということ。これは言辞施といいますが、言葉を返す。みなさん、朝晩、夫婦で挨拶をしているでしょう、きっと。
「お父さん、今日は顔色がいいわね」と言っているでしょう?。言っていないかもわかりませんが。
仏教では、悪いところは滅多に言わないようにして、良いところを探して褒めよという。ところが、夫婦を五十何年やってきていると、良いところが見えないです、ほとんど。惚れ薬もだいぶもう薄れてくる。言葉もなかなか返していない。私は50歳を過ぎたら、お互いに褒め合い、奥さんの顔を見たら、
「お前、この頃、美人になったなぁ」と一言、言ってみなさい。必ず美人になる。
「お父さん、この頃、優しくなったなぁ」と言ったら、優しくなる。それを言っていない、全然、当たり前みたいに。「こうせー、ああせー」は当たり前に言っている。これは奪っているんですよ。夫婦からお互いに奪い合いをしているから、よくならない。それを若い者が見ている。
「うちのお父さん、お母さんみたいにならんとこな」と、こう言うんですね。子供は、親が喧嘩していると、「もう、お父さん、お母さんみたいにならんぞ」と。
親が離婚しますとね、子供は必ずその年齢になると、事件を起こすのだそうです、統計上。それは親の姿を見ているのです。いわば、親が子供の心を奪っている。だからまず、夫婦が仲良くして、お互いに良いところを褒め合う。瀬戸内寂聴さんは賢い人で、何であんなに人気があるか。必ず褒めるんです、人を。初対面でも。褒めるところがなかったらどうするんだと言うと、「そうですな、鞄でも褒めるんです」とこう言う。
「顔が褒められない、どこも褒めるところがないといっても必ずありますよ、人間だったらありますよ、きっと。でもそれが難しい時は、持ち物でも褒めなさい」とこう言う。
瀬戸内寂聴さんに初めて会った時に、「あなた、目がきれいだわねぇ」と言われると、本当にそう思うんですよ。家に帰って一生懸命に鏡を見る。
「どこがきれいなんかな?」と思うけれども、それがきれいになります。
「優しいわねぇ。あなたの雰囲気は優しい雰囲気ねぇ」と言われたら、優しくなるんです。だから、子供に対しても、夫婦の間でも、大抵は悪いところを探して、そこに指を突っ込んでねじまわる。もっと悪いことに、人間はこれに快感を覚える。人間は怖い動物ですよ。だから、やめないと駄目です。良いところがなくても、無理矢理に探しても、良いところを褒める。それをせよとお釈迦さんはおっしゃっています。
私は、一隅を照らす運動の基本・根幹は、そこだと思うのです。良いところがあったら褒めて、辛いところがあったら助ける。そうしたら自分にも、きっと褒めてくれますので、片側通行ということはないのです、人間社会には。片一方、あの人はあれだけ褒めたのに、今度会ったらボロクソに言われたということは滅多にない。あの人に一遍、褒められたからと思ったら、悪口を言おうと思っても、黙っていることになる。よそへ行っても、その人の悪口を言わないようになる。お返しがあるわけです。お返しを求めてやるのではないけれども、やはり何か返されるものがある。
「朝起きたら、今日は誰を褒めようかな。子供を見ていたら、良いところがあるぞ。学校の勉強も遅いけど、頑張ったらもっといけるぞ。お前は良い子や、ワシの孫や」と、こう言うから、いつの間にかよい子になっていくのです。
ところが、ちょっとひねくれているのがいますからね。
「お爺、またうまいこと言いやがって」と言うかもわからないけれども、それでもいいんですよ。本人が気に入ればいい。
天台宗はラオスへ行って、学校を建てたりして、たくさん良いことをしています。これも大事です。私はもっと大事なのは、一人ひとりがお互いにお返しの心を持つということです。しかも、家の中から。これはお金がかかりませんよ。
心をまず変えていく。今日お出でになった人は、家に帰ったら、奥さんに対して、
「すまんかったなぁ、本当に永いことお世話になって有り難うなぁ。これからも頑張っていこう」
と言ったら、奥さんはビックリしますよ。
「一体、何の話を聞いて来たのだろう?!」
それで、コロッと顔色が変わりますからね。心が変わります。すると必ずお返しが来る。お返しを求めてやるのではないけれど、できたら、返してもらったら、もっと有り難いと思います。
四国の男の人は昔からワンマンが多いんです。威張っているんです、まだ田舎でございますから。よそへ行ったら女が威張っている。四国は男が威張っていますからね。
どっちにしましても、旦那さんはお嫁さんが尽くして当たり前だと思っている。当たり前ということは一切ないと思うのです。だからお互いに力を合わせ、心を通わし合って生活をしているのです。それが子供の教育の基本だと思います。世界の平和をどうするんだといってみても、家に帰ったら喧嘩ばかりしていた。これが平和かと。そういうことに思い至りますと、最後はやっぱり自分、単位は夫婦、それから親子兄弟。葬式があっても兄弟が参ってくれない所がいっぱいあります。恐ろしい世の中になっています。
お互いに心を開いて、そこからお返しを始める。人を見たら、良いところを探して褒める。それを是非この機会に実行してください。これが一隅を照らす運動の基本だと、私は思います。もちろん困っている人を救わなければならない。ゴミも少なくしなければならない。それはなかなか一朝一夕に行くものではない。それらも実現するように努力しなければなりません。
基本的に今日、私が言いたかったのは、みなさん方の心をお返しの心に変えて帰っていただきたい。奪いの心は、もう若い者に見せないようにしていただきたい。それをおみやげにして帰っていただければ、私も今日、比叡山から来た甲斐があるというものですから。どうぞよろしくお願いいたします。どうも有り難うございました。

■講師紹介
小林 隆彰(こばやしりゅうしょう)
昭和3年生まれ、香川県出身。比叡山の延暦寺一山千手院住職。また、日中韓仏教交流協議会理事長(日本側)を務める。天台宗務庁総務室長、延暦寺副執行、延暦寺執行など要職を歴任。主な著書に『生きている観音経』『智証大師円珍』『比叡の心』『花咲け 人咲け 命咲け 歩けなくても心咲け』などがある。

※この講演録は、平成11年11月17日に宇和島自動車会館で開催された一隅を照らす運動推進四国大会での講話をもとに編集いたしました。
(2000.05.28)

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